弟、梶圭寿のこと。
2015.12.28
最近は、ずっとブログさぼってました(;´・ω・)
今年を振り返って、
弟 梶圭寿が「一生懸命に生きた証」をどこかに残したくて。
少しだけお付き合いくださいね。。。
弟とお別れして半年が経ちました。
いまだ時間の流れに心がついて行けていない私がいます。
今年2月、Tone upのホームページ撮影直前の準備で忙しさはピーク時。
「癌やって、でも末期とかじゃあないから大丈夫やから」と苦笑いしながら電話してきた弟。
「胃癌、 …肝臓、肺、リンパ節に転移」
大丈夫でないのはすぐに分かった、私に少しでも心配かけないようにオブラートに包んで伝えたのもすぐに分かった。
2日後にホームページ撮影…こんな気持ちで撮影どころではない。
すぐにでも東京の病院に行きたかった。
ネットで癌のことを調べて状況が厳しい事を改めて知り、お店を予定日にオープンするか迷って迷って、撮影に挑むことにした。
逆に今がんばらないと、
今後お店もやっていけないし、弟も助けられないような気がした。
東京の病院でたったひとり、主治医から宣告を受けた弟のことを考えると、今立ち止まってはいけないような、試されているような気がした。
先に主人が両親を連れて車で東京に向かってくれた。
22年前。
弟は、待ちに待った高校卒業式の次の日、「ギタリストになる夢」を持って上京した。
生活は大変やろうけど、東京でなんとかやってた。
弟は弟なりに両親だけになった実家の事を気に掛けながら。
いろいろあったけど『東京に弟の音楽はある』と感じるようになってからは、私も「こっちのことは気にしなや。任せといて。」とやっと言えるようになった。
好きな事をブレずにそこまでやれたら、それはそれでカッコいい。
私は陰ながら1番の理解者・応援者でいよう、と決めていた。
年に1度会えるか会えないか、たまにLINEして「生きてるか~?」て尋ねて。
で決まって最後に「姉ちゃんも気つけや(^◇^)」って人の心配ばかりして。
大好きなおばあちゃんが亡くなる前も戻ってきて、ずっと看病してたな。
私が入院した時もひょいと身軽に来てくれたな。
ギターが好きで好きで…寝ても覚めてもギターと一緒で、アメリカ南部の音楽に魅了されて現地に行ってしまう、数カ月滞在してライブに飛び入り参加してしまう行動力。
独特のおもしろさがあって、自分なりの言葉を持っていて、物を大事に、人を大事にする人でした。
優しさと言うより思いやりの塊。
恋愛事情はよく知らないけど、お年寄りに人気で(;^ω^)(笑)
まっすぐ素直で純粋で。おちゃめで。ポジティブで。
控え目で飾らないけど、自分のスタイルを持っていて。こだわりを持っていて。頑固で。
あまり多くは語らないけど、ここって時は意表をついた発言にこっちまでハッとさせられた。
努力しているところを見せない、相当な努力家でした。ちょっと持ち上げすぎかな(笑)
でも正直すぎるが故に、苦労することもあったと思う。
選んでそう生きたのか、そう生きることしかできなかったのか。そこは謎です。
奈良の田舎から音楽を夢見て東京に…近所ではちょっとしたウワサになっていたはず。
でも私にはそんな事どうでも良かった、弟本人が選んだ道、弟がそれで幸せなら。
面と向かって本人に伝えた事はないけど、その行動力とブレないところも、昔からずっとずーっと尊敬していた。
長らく音楽という水を蓄えてきて、一緒にやって行く相方さんにも出会い、ようやく方向性が見えてきて、これから花咲くところだった。
これからだった。悔しいけど仕方がないよね。
どんな日もあるけど、やっとそう思えるようになったよ。
それに最近思うんです。妖精みたいなヤツやったなって(笑)
死んだらどこにいくの?本当に会えるの?寿命は決まってるの?
おばあちゃんや弟と会えるっていう確信があれば、死ぬ事も怖くないなあ(笑)
そんな事をよく考えています。
『遠くにいても、ただそこに居てくれるだけで、私たちは幸せでした。』
弟のためにもしっかり生きていかないといけない。
今日もどこかで生死と向き合っている人がいて、見えない何かと戦っている人がいて。
今日も。明日も。。。
Toneupは、とても小さな小さなお店です。
弟の生き方をみてきて、私も「自分のしたいことをしよう!」と辿り着いた場所です。
家でサロンをしたい、と言う私のわがままをきいてくれた主人に感謝しつつ、
今年、足を運んでくださった皆さんに感謝しつつ、
これから弟と共にゆっくり前進して行きたいと思っております。
アメリカ テネシー州 メンフィスにて 2012.5.27.
明日香・橿原市・大淀町・御所市・桜井市
リンパドレナージュ&パワーツリーセラピー隠れ家サロン
Tone upトーンアップ
https://toneup-asuka.com/info/